「店長、如何なさいましたか?」
テッサイの呼び声に飛んでいた意識がハッと戻ってくる。
「あ、あぁスミマセンね…。何でもないっスよ。・・・で、何の話でしたっけ?」
どうやら随分の間、ボーッとしてしまっていたらしい。
ジン太やウルルまで、障子の影からこちらを伺っている始末だ。
「あぁ、そうでしたな。・・・ですから明日は新月となりますが、臨時休業の事は黒崎殿にお伝え致しましたかと…お伺いしていた所でございます。」
これ以上気遣われないよう、普段通り振舞うつもりだった。
だがっ・・、その言葉を聞いて頭から血の気が引く音がした。
――新月っ!?・・・明日が!
・・・まさかと思いたい。今まで一時もこの日を忘れることなど無かったのに。
アタシが忘れていたッ?これ程大切な事を…。
「・・・・店長、もしや・・。」
アタシの狼狽振りを目の当たりにしたテッサイは、伝えていない事を察したようだ。
「・・えぇ、スミマセン。伝え忘れてましたよ。」
表面上動揺を出さないようにしたが、そんな言葉で取り付くっても気付いているだろう。
伝え忘れたのではなく、伝えるという事自体を忘れてしまっていたことに・・。
それほどあの子供が、アタシに影響を及ぼし始めているということに・・・。
翌日、予定通り『臨時休業』の札を下げ店は閉めていた。
申し訳ないが、黒崎さんが来てくれたとしたらガッカリするだろう。
それか、優しいあの子の事だから‥何かあったのかと少しは気にしてくれるだろうか?
けれど会うわけにはいかない。今日だけは・・・。
・・・何故ならアタシは今、人では無いのだから。
正確に言えば、人の姿を保てていないと言った方が正しいのだろうか。
アタシを含め、この店の住人は人ならざる者。闇の眷属なのだ。
人間の言い方では妖怪やあやかしなどというが、古代から人と関わらず‥陰でひっそりと暮らしてきた一族である。
本来、正統な眷属ならば人型を保てなくなるなんて事は無い。
だが、アタシは違う。
一族から追われ、人間との生活に紛れて暮らしている半端者であるからだ。
なぜならアタシは、眷属と人間との間に生まれた・・・禁忌の子供。
人間にも眷属にもなりきれない半端な存在なのだから…。
「にゃぁ~。(はぁ~、今日も暇ッスね~。)」
縁側で丸くなりながら、思わずそんな愚痴を零してしまう。
今日で黒崎さんと会えないのが2日目だ。・・・たかだが2日。
なのにこの体たらくはどうだろう? 一体アタシはどうなってしまったというのか。
そんな時だった。裏口の方から物音がしたのは・・・。
――――キィィッ――
おそらく裏口の戸が開く音。
・・・まさかっ‥!? そんな事ありえないのに、会っては行けないというのにアタシは密かに期待してしまった。黒崎さんが来てくれたのではないかと。
そんな自分に呆れつつ、それ以降は物音もせず気のせいかと思い始めたとき・・
「・・・い、‥らはらさ~ん?・・・誰か‥いないのかぁ~?」
微かに呼ぶ声が聞こえてきた。
庭の向こうから確実に近付いてくる足音。気付くと目の前には黒崎さんが立っていた。
目の前には黒崎さんがいる。
突然の出来事に動けず、ただ見詰めることしかできずにいるとテッサイが店の傍まで戻ってきている気配がした。
我に返って思わず店先のほうに振り返ると、黒崎さんも慌てた様子でそわそわしている。
帰ろうとしているのだろうか?
…だが何か気がかりなことがあるのか、その場に踏みとどまっていた。
テッサイが帰ってくると黒崎さんは必死に謝りだした。
伝え忘れたのはアタシなのに・・・。なぜかその様子に胸が痛み、このまま帰そうという気持ちが消えた。
騙している罪悪感だろうか?…いや、アタシはそんな優しい人間じゃあない。
そう、ただ来てくれた。それだけが嬉しかった。
こんな考え矛盾しているけれど。
そしてアタシはテッサイに目配せをし、黒崎さんを招き入れることにしたのであった。
いつも通り、座布団で丸くなっている。
けれどいつもとは違く‥黒崎さんがいてくれる。こんな姿なアタシの前に。
なんだか今、無性に黒埼さん触れたくなった。
黒崎さんはそんな事知っているわけでもないのに・・・。
だが今のアタシは猫だ。
そして、それを感づかれるわけにもいかない。